Give & Take(ギブアンドテイク)
彼女と別れて早半年が経った。
正直未だに思い出しては辛い感情になる。
それは、相手のために力になれなかった自分の無力感から来る。そもそも相手の悩みや辛さを感じとってあげられなかった自分の感度の低さに対しても、なぜもっと目の前の現実をしっかり見なかったのだろうか(何か悩んでいることはないか?とコミュニケーションをとってあげることが出来なかったのか、そもそも気づかなかったのか、気づけていたとしてなぜそう行動する勇気がなかったのか)という思いに駆られる。
そして、その自分の至らなさを相手が感じとり、私は見切りをつけられてしまったという、自分の存在を真っ向から否定する事実に直面し、本当に自分という存在の無力さに、気分が落ち込むことが未だにある。
こうして言語化すると、全て自分に対して意識が向いていることに気づく。この様な姿勢が、本来は相手に素直に向かえばいいのかもしれないなと思う。
話を戻して、
本当は相手のために少しでも力になりたいと思っても、もはや私から得るものは何もないと思っている相手に対し、何かを与えるチャンスすらないことがたまらなく悲しいと感じる。
この悔しさは、もはや見切りをつけられてしまった彼女との関係で解消するチャンスがない。その意味では一生、彼女との関係で感じたあの時の無力感を抱えていくことになるが、今後似たような局面に立ち会ったとき、同じような失敗をしないように、よくよく振り返る必要があると思う。
そして、その原因は他でもない自分自身にあることから真摯に自分自身の至らなさを分解して、それを克服していかなければまた同じ失敗を繰り返してしまうだろう。
後悔先に立たず、ああしておけばよかったこうしておけばよかったというのは、振り返ってから言うことは非常に簡単だが、そんなことを言っていても過去は変えられない。
むしろ、この経験を踏まえて今後の人生で応用できそうな考え方をまとめておき、実際にその考えの通り行動し、未来を納得できるものに変えていくしかない。
そこで、Give & Takeという観点から考えたい。
Give & Take ギブアンドテイク。与えることと受け取ることという意味である。
よく人間関係は、Give & Takeだと言われる。
何かを人から与えてもらった時には、後にちゃんとお返ししましょう、そうすれば相手との関係がより良好なものになります、という考え方であると理解している。これはテクニック論としてではない。実際人間は返報制の原則があると言われており、何かしてもらったら何かしてあげたくなるものだろう。
与えるものや受け取るものは何も物質に限らない。相手への配慮、相手を喜ばせるような言葉、千差万別だろう。
世の中には、側から見ると、どうも人に対して「何かを与える」という意識が薄いように見える人がいる。
かくいう私も、積極的に人にお節介するようなタイプではなかったので、人に何かを与えるという意識が薄いように見える人間だったかもしれない。ある意味主体性の欠けている人間である。
しかし、最近では意識して周りの状況を見て、人のニーズを把握し、必要なものは与えようと努めている。意識して与えていることを相手にわかってもらえるようにも努めている。なぜなら、相手に伝わらなければ自己満足の世界だからである。
周りを見て、少しだけ先を見据えることは、社会人に当然求められるスキルかもしれない。
さて、Giveにもレベルがある。
①幼少期から周囲の人と接する際の意識付けがなされており、当然のようにGiveをできる人。彼女はこのタイプだった。
②習慣づいてないため、Giveの初動が遅い人。しかし、気づけばGiveを行う。
③Giveをしない人。これはかつての私であり、意識して人のニーズを汲み取ることで②に移行しようとしている。
③の人がなぜ存在できるのか。それは、周囲のフォローがあるからである。幼少期であれば親や周囲の大人、もう少し大きくなれば周りを見ることのできる友人などのフォローである。
しかし、私は③の人はいつも与えてもらってばかりでダメであると言いたいのではない。かつての自分を自己正当化しているつもりではないが、
③の人は、その人に対して周りの人が与えようと思うインセンティブがあるのである。
それは、Giveする周りの人が、自然と③の人から、何かを受け取っているということなのである。
これは、新たな視点を生む。
通常、人間関係はGive & Takeであると仮定すると、帳尻が合っていない場合、その人間関係は破綻するはずである。
しかし、側から見るとどうも片方だけがGive過多で、もう片方がTake過多であるのに、両者の関係が良好である場合がある。
これは、Giveする周りの人が、自然と③の人から、何かを受け取っているということなのだと思うのだ。
それは③の人にとって、幸せでもあり不幸でもある。
自分がそんなに考えなくとも周りとの人間関係は上手くいく。それは、③の人が意識せずとも何かを相手に与えているからである。
しかし、相手が求めているものを与えなければならない状況になった時、普段からGiveを意識している人とはGiveの程度・質に雲泥の差がある。なぜなら、相手が求めているものを知るためにコミュニケーションを取らなければならないし、それを適切に与えなければならないからである。相手が勝手に、自然と受け取ってくれる自分の良さとは別に、相手が自分に対して求めているものを、積極的に与えなければならない。
残念ながら、私は③の人だった。
作為(自分から何かをする)のGiveではなく、不作為(自分から何かをするわけではない=ここでは、相手が自然と受け取ってくれるという意味とする)のGiveをたまたまできていたおかげで(ある意味自分の強みではあるが)、本当に何かをして欲しいとき、作為を発してるときに何もできなかった。正直、たぶんなんとなるという甘い考えがあった。
痒いところに手が届く、ちょっと面倒だなということを先回りして行う。
必要なことは、今の状況で周りが何を必要としていそうなのかをしっかりと見極め、その要素を分解し、その必要としていることを先回りして行うことだと思う。
もちろん、全てが周りの人から感謝されることもないだろうし、気づかない人もいるだろう。
そのことに一喜一憂している暇はない。
1年後、5年後、もっと後の人生においても本当に大切な人が、大切なときに必要としているものをしっかりとGive、与えられるような人間になっていたい。
そのために日々、周囲を見て、何を欲しているのかを考え、困っている人に手を差し伸べられるよう行動する。
5/11(月)23:30