コタロー’s blog

コタローです。大卒、社会人3年目。日本在住。

新型コロナ治療薬 レムデシビルの特例承認について

本日5/7(木)のニュースによると、

新型コロナウイルス感染症の治療薬として、レムデシビルが厚生労働省により特例承認されました。

 

レムデシビルに関しては、米医薬大手ギリアド・サイエンシズの日本法人(東京・千代田)が4日(月)、厚労省に承認を申請していた。

 

レムデシビルは静脈内に投与する点滴注射薬

エボラ出血熱のために開発されていた薬で、ウイルスが体内で増殖するのを防ぐ。

 

米食品医薬品局(FDA)が新型コロナ感染症の重症患者の治療薬として1日に緊急使用を認可し、日本政府も2日に国内で使用できるよう医薬品医療機器法の施行令を改正していた。

 

課題は供給体制になる。米ギリアドは増産投資しているが、量産化の体制は整っていない。同社は世界で14万人分のレムデシビルを無償提供する方針を示しているものの、日本に対して何人分が供給されるかは現時点で未定だ。

イージス・アショア新屋配備断念へ

陸上配備型イージスシステム(以下イージス・アショアと言う。)の、陸上自衛隊新屋演習場への配備断念の記事が、読売新聞オンラインに掲載された。

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20200506-OYT1T50033/ 

防衛省は、昨年5月に、新屋演習場にイージス・アショアを配備できるか否かを記した調査報告書を提出したが、その資料に誤りがあったことから地元からの反発が大きくなっていた。

 

これまでの経緯は、防衛省の白書にも載っている。(イージス・アショアの項目を参照)

https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2019/html/n31202000.html

 

記事にもある通り、新屋演習場が、住宅地や公共施設が近接するため、電磁波の健康影響や安全性への懸念があることを理由に、秋田県佐竹敬久知事や自民党秋田県連も配備の見直しを求めていたことも今回の判断の一因だろう。何をもって防衛省が判断したのかはわからないが、文字通り理解が得られる見通しが立たなかったというところだろうか。

 

Twitterではイージス・アショアの配備に関して賛成の立場、中立の立場、反対の立場の人がそれぞれに主張をしており、

賛成派の立場の人は、「この判断が後に間違った判断とならなければ良いのだが…」といった反応が多い。

これはつまり、配備しなかったことにより、有事の際に防衛できなかったなんてことにはならないよう願っているわけだ。

 

しかし、記事にもある通り、防衛省幹部が「日本全域をカバーするためには、秋田県内が適している」と述べ、同県内を軸に再選定を進める考えを示している。

 

したがって、イージス・アショアの配備そのものについて断念したわけではないようである。(その意味ではTwitterの配備賛成派の意見は、現時点で杞憂だろう。)

また、在日米軍が仮に撤退したらどのように自国を守っていくのか、自国を守るためにはイージス・アショアは必要な装備品あるというような主張もあった。(これは曖昧な主張だが、日米同盟も永久のものではないと仮定して、自国で防衛力を増強しなければならないという考えの持ち主であると推測する。例えば、在日米軍が撤退すると、BMD対処機能付きイージス艦の援助が受けられなくなるところ、現状の脆弱な日本のBMD体制のみではできず、自国を守れないよ、という主張と勝手に解釈。実際は防衛省イージス艦を8隻体制にすることで日本全域を守れるようにする、とこれまでは主張。)

あとは、SM-3の性能が良いのだから新屋に拘らんでもええやろという主張もあった。

 

中立の立場の人は、調査が杜撰だったから今回の判断は仕方ないことだという主張が多い。だから配備を取りやめるべきだとまではいっていないようである。かと言って賛成の立場というわけでもなさそうである。

 

反対の立場の人は、

・そもそもいらない(理由なし)。

・そもそもいらない(コロナ、医療費、その他社会保障費にお金を出せ)。

・そもそもいらない(周辺に脅威はないため、無用の長物である)。

・そもそもいらない(むしろ攻撃される)。

・地元の民意万歳。

・(上記に関連するが、)昨年7月の参院選の結果も影響しているという主張。

・トランプに買わされたんだ→そんなのに金使うな(→もっと他に金を使えという意味を暗示。上記2ポツと同旨)

アメリカ(ハワイ)を守る盾なんだ→だからいらない

 

と言った主張である。

 

他方、そもそもイージス・アショアって何?というのが、

国民の大半だろう。

 

いずれにせよ、行方を見守りたい。

人生とはフローである(幸福論)

こんにちは、コタローです。

 

さて、今日は人生はフローであると題して幸福論についてお話しします。この話を読み終わった後、きっと幸せな気持ちになり、人生の活路が見出せることでしょう。

 

まず、「フロー」とは、「流れ」を意味し、日常的にも、「キャッシュフロー」つまり「お金の流れ」という言葉などで広く用いられています。

 

「フロー」と対比される言葉として、「ストック」という言葉があります。こちらは、「蓄え」という意味です。

 

経済学では、「フロー」は、「ある一定期間に流れた量」、「ストック」は、「ある一時点の貯蔵量」などと言われます。つまり、結局は流れているのか、あるいは、蓄えられているかの違いです。

これはよく、お風呂で例えられますね。湯船に蛇口をひねって入れているお湯は「フロー」であり、湯船に溜まっているお湯は「ストック」であると。

 

ここからは本題です。

人生とは「フロー」である。

 

本当か?

生まれたばかりの赤ちゃんならまだしも、我々はみな、最近身の回りや世の中で起きたこと、もっと言えばそれ以前の影響を受けてるじゃないか。また、これまでの自分の経験が自分の価値観を作ってきているじゃないか。自分の住んでいる国や地域も長年積み重ねてきた歴史があるし、そういった「蓄積=ストック」の上に立って我々は日々生きているのではないか。だから、我々は人生を「ストック」として生きているのだ…!断じて「フロー」ではない!

 

なるほど。確かに。言われてみるとそうかもな。もっと言えば私たちの能力も、私たちが置かれている状況も、自分の趣味嗜好、職業や社会的地位、富や財産の多寡もある程度の年になればたかが知れてくる。物の考え方で言えば、これまでの経験を経て物事を判断してるし、そうなると、「ストック」してきたもので我々は生きてる。人生とは「ストック」である。

 

それでもあえて言おう、人生とは「フロー」である。

 

私たちは1日1日を過ごしているし、その1日は湯船に注がれるお湯の如く刻一刻と流れている。まさに「フロー」だ。

 

脳内で振り返れば、「あの出来事はもう⚪︎年前のことか、随分時が経ったな」と思うかもしれない。しかし、我々は1日にして10歳や20歳、50歳と年を取ることはできない。

 

今を生きているのは、紛れもなく「今のあなた」である。

今自分が、幸福か幸福でないかを思考しているのは、紛れもなく「今のあなた」である。

 

今の自分が幸福なのは、⚪︎⚪︎してきたからだ。

今の自分が幸福じゃないのは、⚪︎⚪︎してこなかったからだ。あいつは幸せそうだけど、私は幸せじゃないな。

 

全部違う。今自分が、幸福か幸福でないかを思考しているのは、紛れもなく「今のあなた」である。

 

記事を読み終え、「なんかよくわからなかったな」、「少しは面白かったな」、「クソ記事だったな」

こう思うのは、紛れもなく「今のあなた」である。

 

経験に囚われず、思考を停止することなく、絶えず最善と思われる選択をし続けよう。(我々は「ストック」の人生を生きているという錯覚をもっている。簡単な例で言えば、毎日同じコンビニに行き、同じ飲み物を買ってしまうということ。自分が思考する際、無意識下で、経験や記憶に基づいて行動してしまう。)

 

さぁ、夕飯の買い出しだ。本当に近所のスーパーで食材買うのがいいの?とかね。一個先のスーパーに行くだけでも、あなたの知らない自分の街が広がっているかもしれない。すると、なんか知らない道があって楽しいなって思う。

いつもお金を下ろしてる銀行口座以外に、特に意味はないけど新しい口座を開設しようかな、とか。

人間の脳もそんなもん。

 

永遠の愛も、恒久の平和も、ずっと続くと思った漫画の連載も、株価の下落も、最近のコロナウイルスの状況も、結局は振り返ってみないとわからない。行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。まさにフロー。

 

我々は今この瞬間を、生きることしかできない。過去に囚われずフローな人生を生きよう。

 

#人生とは #幸福論 #実存主義? #Do it before you think #コロナ鬱対策